りんごとさくらの街 弘前市にある「弘前福音キリスト教会」の案内ページです

2017年05月

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ルカによる福音書8章40~48節

 

 「さて、イエスが帰られると、群衆は喜んで迎えた。みなイエスを待ちわびていたからである。

するとそこに、ヤイロという人が来た。この人は会堂管理者であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。彼には十二歳ぐらいのひとり娘がいて、死にかけていたのである。イエスがお出かけになると、群衆がみもとに押し迫って来た。

 ときに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかったこの女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった。イエスは、「わたしにさわったのは、だれですか」と言われた。みな自分ではないと言ったので、ペテロは、「先生。この大ぜいの人が、ひしめき合って押しているのです」と言った。
 しかし、イエスは、「だれかが、わたしにさわったのです。わたしから力が出て行くのを感じたのだから」と言われた。女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを話した。そこで、イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」

 

決して希望を捨てずに生きる」メッセージ:岩松康宣牧師
 

 「ときに、十二年の間長血をわずらった」女性の苦しみは病だけではなく、社会の中で疎外されて生きていることであった。当時、この病は宗教的には汚れた者であると位置づけられていたために、自由に交わりの中に入ることができなかった(レビ15章)。ちょうど現在のエイズなどにかかった人々が抱いている思いと同じであったかも知れない。

 彼女は、自分のこのような苦しみから解放されるために、様々な医者を頼り、自分の持ち物、財産を使い果たしていたとマルコの福音書では記されている。彼女は病気の苦しみだけではなく経済的にも苦しんでいた。

 彼女が普通に社会生活が出来ない苦しみを背負っていることは、彼女の周りの人々は知っていたであろう。だからと言って、彼らから彼女に近づき、救いの手を差し伸べることはできなかった。

  そして、主イエスに近づきたいと思っていても、公然と彼女のほうから主イエスに近づくことはできなかった。そこで彼女は、群衆にまぎれこむ形で後ろから近づき主イエスの着物の房(民数記15:38-40)に触れたのである。この病気は律法的に汚れたものと見なされていたために、もし他人にさわったなら、さわられた人も宗教的には汚れたものと見なされた。だから群衆にまぎれこみ分からないように、主イエスの後ろからそっと触ったのである。

 しかし、群衆にまぎれてそっとさわった彼女の病はたちどころにいやされた。しかし、後ろから気づかれないように触ったはずなのに、主イエスは、わたしにさわったのは、だれですか」と言われたのである。希望を抱き続けたいと思っても、絶望的な材料が多すぎる中で彼女が見いだしたのは、主イエスに対する信仰であった。それを主イエスは見逃さなかったのである。
 

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「わたしの生涯はむだではない」

 エミリー・E・ディキンソン
(Emily Elizabeth Dickinson/1830ー1886)は、若いころ失恋の痛手を負い生涯独身で通した女性ですが、心にひびく数多くの詩を残しています。詩人として評価されたのは彼女が亡くなった後ですが、彼女の詩は今でも多くの人に愛され、読まれています。



 下の詩は新潟の敬和学園を創立した太田俊夫先生が愛誦していた「生きがい」と題された詩です。この詩を読むたびに、泣き虫だった少年のころ、親に用事をいいつけられ自転車ででかけた時のことを思い出すといいます。



   もしわたしが一人の心を傷心に陥らせないようにすることができるなら

   わたしの生涯はむだではないであろう
 

   もし一人の生命の苦悩をやわらげることができるのなら

   あるいは一人の苦痛をしずめることができるなら

   あるいはまた、一羽の弱り果てている駒鳥を助けて

   その巣の中へ再びもどしてやることができるなら

   わたしの生涯はむだではないであろう 
 

   もしわたしが一人の心を傷心に陥らせないようにすることができるなら

   わたしの生涯はむだではないであろう


 冷たい風に吹き付けられ、強風にあおられて自転車もろとも投げ出されて、肩で押すようなかっこうで寒風に向かって坂道をのぼっていったとき、通りすがりのおじさんが、「えらいなあ、こんなに小さいのに。今になあ、こういう苦労が実になる時が来るよ。もう泣きなさんな。向こうに餅屋があるから、あそこまで元気を出して行って、暑いお茶でも飲んで休もうや」と一緒に励ましながら歩いてくれて、お茶と大福もちをごちそうてくれたというのです。



 そしてその見知らぬおじさんと出会った感激を今でも忘れられないというのです。その慰めの言葉をかけてもらった太田少年が、子どもたちを生かす素晴らしい教育者になったことは言うまでもありません。
 
  

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スティーブン・メティカフ宣教師による岩木川での洗礼式

 
開拓者 スティーブン・メティカフ宣教師

 2014年67日、弘前福音キリスト教会の開拓時代の宣教師としてご奉仕くださったスティーブン・メティカフ宣教師が天に召されました。86歳のご生涯でした。

 

 スティーブン・メティカフ宣教師はイギリス人です。1927年、ご両親が中国南雲省の山奥の少数民族への宣教師として働いていた山奥の村で生まれ、第二次世界大戦中は、中国を侵略していた日本軍によって収容所に入れられました。14歳の時です。その収容所で、陸上の元オリンピック金メダリスト「炎のランナー」エリック・リデルに出会ったのです。
 


 当時、エリック・リデルはスポーツマンとしてのキャリアをすべて投げうって、宣教師として中国で働いていました。エリック・リデルと共に収容所に入れられていた少年たちは、日本兵の中国人へのむごい仕打ちを見せつけられ、その行為をどうしても赦すことが出来ず日本人を憎んでいました。しかしエリック・リデルは彼が収容所で開いていたバイブルクラスに出ていたメティカフ少年たちにこう言いました。

 

 「イエスは愛せない者のために祈れと言われた。だから君たちも日本人のために祈ってごらん。人を憎む時、君たちは自分中心の人間になる。でも祈る時、君たちは神中心の人間になる。神が愛する人を憎むことはできない。祈りは君たちの姿勢を変えるんだ。」

 

 エリック・リデルは、収容所で43才という若さで亡くなり、メティカフ少年もその棺を担いだといいます。メティカフ少年はその時、「もし僕が生きてこの収容所を出られる日が来たら、きっと宣教師になって日本に行きます」と祈りました。その祈りの通りに、25歳になったメティカフ少年は宣教師として日本にやってきたのです。



 スティーブン・メティカフ宣教師は金木、五所川原、弘前をはじめ青森県を中心に宣教師として熱心に福音を宣べ伝えました。イギリスに戻ってからは、イギリス人と日本人との架け橋となる働きをしたのです。メティカフ宣教師はエリック・リデルが履いていたという運動靴を譲り受けました。それだけではなく、「日本人を愛する」というバトンを「炎のランナー」エリック・リデル から受け継いだのです。

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スティーブン・メティカフ宣教師の死を伝えるイギリスの新聞
 

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夕焼けの岩木山


  チャールトン・ヘストン主演の映画「十戒」をご覧になった方も多いと思いますが、1956年の作品といますから、今から60年近く前の映画になります。コンピューターグラフィックのない時代に海が割れるシーンをはじめ、よくあれだけの奇跡的なシーンを撮ったものだと思います。その中でもモーセがシナイ山で「十戒」をいただくシーンがあります。実際にシナイ山(ジェベル・ムーサ)に登る機会があったとき、「十戒」の映画を思い出しながら登りましたが、その記憶は今でもはっきりと残っています。

 

 シナイ山(ジェベル・ムーサ)のふもとに立って山を見上げると、目の前に山がそびえ立ち存在感十分の山です。時々、夕焼けを背景にした岩木山を見て、ふもとからの存在感のある見事な山の景色にシナイ山を思い起こすことがあります。自分の住んでいる町にこのような山があるのは幸せなことです。私にとってのシナイ山(市内山)です。
 

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シナイ半島 シナイ山(ジェベル・ムーサ)山頂付近からの景色 
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シナイ半島 シナイ山(ジェベル・ムーサ)

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